KERA・MAP「キネマと恋人」―虚構と虚構に支えられながら生きる者たちへの賛歌

観てきた。2016年初演の際には観劇のご縁がなく、今回も半ばあきらめかけていたところにチケットを入手することができて向かった北九州芸術劇場。観劇できたことが恩寵に思えるほどに素晴らしかった。

幕引き後、心の底から夢中で拍手した。昔、生まれて初めて演劇というものを観て「こんなに面白いものがこの世の中にあったのか!」と思った衝撃にも似た、興奮。沢山笑って少し泣いて、甘く美しく少し苦い、大人のためのおとぎ話。

 

3時間超があっという間―ケラ演劇の集大成的作品

全体を通して、すさまじい完成度。ケラさんのオリジナル作品て、おそらくご本人の親切なお人柄のゆえか、ちょっと盛り込みすぎというか、もう少し削れるなぁと思ってしまうこともあったのだけど、今回は盛り込んでも飽きさせずに魅せる手腕に脱帽した。

池田成志さんのこのツイートに共感したので引用しておく。

 

 

KERA・MAP×上田大樹(映像)×小野寺修二(ダンス)=奇跡の化学反応

ケラさんは自身の演劇作品の中に音楽や映像や絵やとにかくいろんなアートを良い意味で節操なく、それでいて都会的なセンスで融合させ、独自の演劇作品を作ってきた人である。

NYLON100℃KERA・MAPの代名詞ともいえる、プロローグ後のオープニングパート、役者の動きと舞台上の装置の動きに連動させたプロジェクションマッピングは、いつもながらにポップでオシャレで緻密で、毎回「これを観るために来た!」という気分にさせてくれる。(今回は久々のケラ作品観劇だったこともあって、嬉しさのあまり少し涙ぐんでしまった)

可動式のパネルを役者が動かしながらプロジェクションマッピングを投影するという手法は今でこそ珍しいものではなくなったし、かなり大がかりなものも増えてきたけれど、私はケラさんと上田さんの作る、「技術や機械に人間が使われてる」感のない、役者・スタッフの理解力や身体能力あってこそのプロジェクションマッピングが好きだ。物語のテーマとしっかり連動しているところも演劇の文学性のような部分を捨てないでいてくれているようで好きだ。

今回はこれに加えて、小野寺修二さんのコンテンポラリーダンスが随所に盛り込まれ、後述する「裏方のダンス」を実現していたのが印象的だった。作品によってはコンテンポラリーダンスが「これ見よがし」な感じになっていたり、悪くいえば「アートっぽさ」を付け加えるだけのもの(=別にそれがなくても成立する)になりがちだったりする。だが、今作では、装置転換や役者の心理描写に溶け込ませることで、むしろダンスがなければ成立しないような化学反応が起きていたように思った。

もちろんこれらの才能と、作りたいものを理解して動くキャストとスタッフの手腕とが全部組み合わさって、全体は一続きのダンスのような、音楽のような、そんな魔法のような作品を体験した。

「裏方のダンス」としての今作

というようなことを考えながら帰路、電車の中で開いた公演プログラムのいとうせいこうさんのコラム「裏方のダンス」ですべて適切な語彙と表現力によって言い尽くされていた。もはや私が付け加えることは何もない。ツイッターだったら全RTして「ほんとそれ!!>RTs」で終わるやつ。いとうせいこうさんはすごい。

いとうせいこうさんの「裏方のダンス」(公演プログラム)、本当に素晴らしいからみんな買って読んでほしいけど、一部だけ引用すると、

この「裏方のダンス」という言葉には幾つかの意味があって、そのまま「道具を出し入れする裏方」がまるで踊るようだと取ってもいいし、「芝居のシステムそのものをダンスのように見せる」と解釈してもらってもいい

ジャンルそれ自体の枷のようなものをむしろロマンティックに演出(...)つまりロマンティックであるために、テクニカルであること。あるいはテクニカルであるために、ロマンティックであること。そこに『キネマと恋人』の美しさの根本があるのだ

という。ほんにその通り。うなずきすぎて首がもげそう。

戯曲や演出上のしかけ色々

他にも数え切れないほどの面白い仕掛けがあって、映像(映画スクリーン)を舞台上に出す今作だけど、映画観客とスクリーン内の映画俳優との「観る-観られる」の関係性が逆転するところとか、「何も起こらない画面」をみつづけて「傑作だわ!」って喝采するただ一人の観客=映画館売り子の存在とか(これを演じる村岡希美さんが脚本家も一人複数役で演じているのもうならされる)、劇を二重三重に入れ子構造的にしていく展開が本当に巧みで、でも単なる技巧ではなく物語や役者の芝居が楽しめてしまうので、こむずかしいこと考えずに楽しんでしまうという理想的な状態。

「全部わすれて楽しかった」にさせてくれる演劇は貴重だ。

あと、最初の映画スクリーンが物理的に一瞬で消える演出、スクリーンの布を客席上方に引いて消えさせるというのが面白かった。ちょっとカラカラ音が気になったけど。

緒川たまきさん、妻夫木聡さん、ともさかりえさん

キャスト全員の隙の無さ。技術の高さに舌を巻く。

緒川たまき様(もう「様」と呼ばせていただく)の魅力、美女なのだけれど少し変わっている魅力が余すことなく表現されている役どころ。そしてともさかりえさんとの姉妹シーンは可愛らしくて切なくて、女優を使うのがうまいと言われるケラ作品の真骨頂ここにありとでもいうべきか。はたからみるとちょっと不憫な姉であり妻であるハルコ(緒川たまき様)が後半で優しく哀しそうに言う「愛って、時計を買い与えてそれで終わりってものじゃないと思う」(うろ覚え)みたいな台詞。全編を通じて、そのような愛を妹に与えるハルコが初めて口にする「愛」論が切ない。こういう台詞が攻撃的に聞こえない、むしろ悲しく切なく響くケラ戯曲と緒川たまき様の仕事ぶりが好きだ。

1人2役を演じた妻夫木聡さん。演じ分け素晴らしかったし、カーテンコール二度目では、もう一つの役として出てくるのが本当に粋だった。

 

虚構を愛する者、虚構に支えられて生きる者すべてへの応援歌のような、苦いけれども人生賛歌のような作品だった。幸せな観劇でした。