本谷有希子作・演出「本当の旅」

本谷有希子作演出「本当の旅」原宿VACANT、観てきた。これは面白いわ…。終わった後ちょっと立ち上がれない程の衝撃があった。
時流を鋭く刺す、あまりにもエッジの効いた本谷テキストと、多彩な表現技術を売りとする複数の劇団から集められたキャスト陣との化学反応。スマホを使って劇中で撮った映像を使うという試みも、奇をてらったかと思いきや、ストーリーとの必然性があって唸らされた。
本谷有希子さん、最近では作家の仕事が印象深いけれど、演劇作ってた頃はもっと「ベタ」な演出をする人という記憶があったが、今回はその頃とはうってかわってコンテンポラリーな印象で新鮮。スイッチ総研やままごと、柿喰う客といった協力劇団の名前とみるとそれも納得。人物模写の巧みさ(「あぁこういう人いるよね~」という、悪意すら感じさせるほどの鋭い模写ぶり)、演技術としては「美しく」ない、あえて意味のない動きを演技者がするチェルフィッチュ的な身体の使い方も、それがストーリー内の「事件」「引っ掛かり」と連動しているのが効果的。
テーマとしては、コミュニケーションにSNSが必須となった現在の、「空気を読んだ」「ポジティブで優しい」「みんなでシェアして肯定しあう」的人間関係への違和感、ということになると思うのだけれど、そこに、現在のロスジェネと若者(?)が置かれている社会状況(雇用の不安定化や低賃金、グローバル化・多様化と「差別」)を、ふんわりと・さりげなく組み合わせる。同じく「ロスジェネ」である私にとっては大変によくわかる話だった。また、インスタに写真や動画を上げ続けることに自分のアイデンティティを託す2人の、一見「楽しそう」で「クリエイティブっぽい」表面とは裏腹の、ふとしたときの、かつてであれば深刻に受け止め・描かれていたような悲愴感の浮かび上がらせ方も切なくなるほどに見事だった。「差別とか大っ嫌い」というその同じ口で,直後に外国人差別LGBTへの偏見にもとづく発言が出てくるのも、実にエッジが効いている。
本谷さんとは同世代なので、2000年代にネット空間やSNSが広く普及しはじめて私達の日常生活を彩り始めた頃の楽しさと期待(自分たちの生活や人生をこんなにも楽しく編集できることへの驚きと中毒感)も大変に共感できるし、そこから約20年弱が経ち、現在のSNSを巡る人々のから騒ぎの薄気味悪さと滑稽さへの違和感も、とても共感できたるものだった。現実じゃなくスマホタブレット画面の中が、よりリアルに思える感覚の描き方の巧みさ。旅の途中、ホテルでそれぞれに黙ってスマホで写真を編集・アップロードし続ける場面で、ふと窓ガラスにうつった生身の自分たちが「中年」であることに気づく瞬間とのギャップ。その衝撃と、そこから逃げ出したいような感覚(実際、主人公は逃げるのだった)。
物語は最後、「のっぴきならない生身の現実」に対峙させられるけれども、最後まで、対峙できない3人を描く。「生身の現実」が進むタクシー車中で、「空気を悪くする」ことを何より嫌う彼らは深刻な話を口にすることができない。主人公が同じ車中にいる二人に「LINEするわ」というところが本当にうまいと思った。LINEの会話特有の雰囲気、細切れの相槌、スタンプで深刻さがひとごとにようになるところなども、深く印象に残った。私はLINEをあまり使わないけれども、メールやブログ、SNSに夢中になったあのころに、そのコミュニケーション・コードに馴染むことが「成長」のようにに感じられたことを思い出したりもした。
3人の登場人物を多数の役者が入れ替わりながら演じるのも、まるでSNSの「いいね」をシェアしあう友だち、インスタに上がる写真が自分の生活や人生の一部のように錯覚する「つながり」を表現しているのだとわかって、なるほどなと思った。仮想空間の心地よいつながりと生身の身体が置かれているのっぴきならない現実、の対比。これはテキストだけではできない演劇的かつ効果的な演出で秀逸だと思った。
彼らの一見おだやかでポジティブな振る舞いの底にある切実な感情に強く共鳴させられてしまい、終幕後、席から立ちあがれないくらいの衝撃があった。これは脚本だけじゃなく、情緒に強く訴えかけてくるままごと的な演出の効果だと思う。若い頃、あんなにも夢中になった技術をめぐって、今どうしてこうなってしまったんだろうという思い、寂しさ。
ただ、文学としては個人的に強く刺さるものがあって、さすがの本谷節だなと思ったのだが、最後、少しでも救いのようなものがあれば、少しでもあれば、より良かったと思わされた。 一体こんなふうになった世界の中で、私たちは何に向かって歩いていけばいいんだろう?主人公が自分の田んぼで稲を作っている(クリエーション!している)という設定で、この人だけは生身の現実に対峙できそうな立ち位置にいたと思うのだが、最後その人をヒーローにはしなかった。確かにこの人をヒーローにするのは違うだろう。でも突破口があるとしたら、そこしかないような気もした。
正直、1ドリンク制のイベントスペースっていう会場(原宿「VACANT」)設定が、「ウワ~~苦手なやつだ〜~」って感じだったし、本谷有希子氏の久々演出作品ということもあってか客席が関係者だらけで開演前も終演後も演劇関係者の顔見知りどうしで盛り上がってる空気も本当に苦手だったんだけど(本谷さん関連てこういう現場の雰囲気になったのか?)、開演してしまえば、そんな自分の感情を忘れ引き込まれてしまった。
終演後、関係者どうしで盛り上がる会場ロビーを逃げるように後にして原宿駅へ歩き出すと、通りにはスマホでタピオカドリンクや街や自分たち自身を撮影しながら歩く人々があふれかえっていた。そこで私はやっと、この劇がこの会場で上演された意味が分かった。これも計算されていたのだな。