A.B.C-Z映画「オレたち応援屋」をみてきた

A.B.C-Z主演映画「オレたち応援屋」を観てきた。

総合的には良かったと思うけど絶賛ではない。ネタバレあります。

 

1. 良かったところ

1) ストーリーが普通に面白い。謎を残してあるので、最後まで「どうなるのかな」と見続けられる。

 

2) 離島の人口減少と地域活性化という現代的テーマが割とリアリティあり。島から出る人、出ない人、コミュニティの中でのコミュニケーションなどなど。1)とも関連するけど、物語を推進する上での「摩擦」や「謎」が社会的なテーマ上に置かれているので、はたからみて問題の所在に共感や理解がされやすくなっている(個人的なことではなく社会的なこととみなされるので)。

 

3) 雷神の舞シーンがいい。A.B.C-ZやJr.のダンス、やはり美しい。加えて、大人数のエキストラが一緒に踊る迫力。華やかさや男らしさや一体感あふれるダンスを大画面でみられるだけで「元が取れた感」。まぁもう少し長尺でみたかったけど、もう少しみたいくらいがちょうどいいのかもしれない。

 

4) エンドロールからメイキング映像のお得感。特にメイキング映像の五関さん最高だったなぁ。五関さんの笑いのセンス、頭がいい、筋がいい、品がいい。

 

5) 脇を固める俳優の皆さんのコメディ演技がいちいち小ネタがあって楽しい。特に役場の人たちの芝居が笑えた。

 

6) わたし河合担なんですけど、河合くんは映像の演技が取り立てて巧い人ではないから、「変な関西弁キャラ」っていうトリッキーな設定がかえって良かった気がする。あとメイキング内、怒ってる顔がひたすらに美しかった。

 

2. 良くなかったところ

1) マドンナ設定(&変顔)とマドンナ母の手の動きSEが不要。

 

マドンナ先生をめぐるコメディ部分が変顔を含め、ほぼ全て滑っている。私が入った映画館客席で、変顔シーンや風呂場で覗きにトライするシーン(これまた何回も繰り返される)ではクスリとも笑いが起きなかった。

ジャニーズ作品の文化はいわゆる「男子校」「ホモソーシャル」でいいんだけど、そこに具体的なマドンナ先生は出しちゃいかんのよなぁ。ホモソーシャル前提の構図の中で生身のマドンナ登場させたら女が対象化されてセクハラまがいになりがち。

キャスティングも原因の一つ。ホモソーシャル前提作品なら大体女は神格化されるか悪役かなんだけど、神格化するには、今回のマドンナ先生のルックスや、物語の中でやってること(全然、教員の仕事してない)に説得力がなくて、そこを軸にコメディ(変顔やお風呂の覗き)&感動(生徒の挨拶)を構築しようとするから、一層なんだかなぁ…になる。

みながら思ってたのは、「男に対象化されるマドンナの存在がなければ、コメディは作れないのだろうか」ってことだったなぁ。今もそんなコンテンツあふれてるから、別に悶々としたり腹が立ったりはしなかったけど、考察はしたくなった笑

 

2) デブの身体は好きに弄っていいのか?

まぁマドンナ問題は「ファンの嫉妬でしょ」と切り捨てられるかもしれないが、私が一番「これはあかん」と思ったのは、むしろ冒頭のシーン。太った男子がゴールしたあと、河合くんと親友が男子のお腹の肉を揉む。

太った男子のお腹の肉を、運動のできるクラスメイト(スクールカースト上位者)と他所者の大人が勝手に揉みしだく。

絵的に面白くもなんともないし、何より、「応援屋の応援で走り続ける姿をみて、他のクラスメイトたちも応援する気になった!そしてゴールできた!応援の力!」という、この物語の要となるシーンなのに、「太った人の肉体は勝手に弄って笑っていい」という要らんメッセージが発信されてしまう。あれは絶対にやるべきではなかった。

 

要はコメディの基盤がルッキズムなのが安易なんだよね。それも巷のバラエティや映画ドラマで散々あふれてるから、「同じことをして何が悪い?」なんだろうけど。そしてA.B.C-Zがコメディをやるとしたら、ああいう安易な形でしかできないと思われているのも悔しい(実力的にはそれが図星かもしれないし、河合くんが最近TVで「勉強している」笑いがまさにそのものなのかもしれないけれど)

 

まぁでも、監督が狙ったコメディパートは、五関さんの「ずらし」の良さで成立してるところがかなりあって、A.B.C-Zにおける五関さんの存在のありがたさを思った。A.B.C-Zのこういう仕事のとき、大体五関さんの存在に救われてる説が自分内にはある。

 

3) 謎の真相が明らかになってみたら、答えは「町長の個人的な感情&部下の私物化」ってのが安易すぎ&リアリティなさすぎで椅子から転げ落ちそうになった。20年間も追及されなかったのは何故…まぁ祭りなんてなくても食っていけるしねってこと?あと部下は町長に言われたらなんでもするのは、何かすごい見返りがあったの??疑問がいっぱい。でもこのへんはもう物語を転がすためにしょうがないのかなーって気もする。

 

4) 追記。地方(離島)の人口減少問題、という設定自体が古い感。日本の地域問題にしたのはいいんだけど、どうも全体的に東京都心中心主義が見え隠れして、あぁこのノリは80年代後半から90年代くらいの雰囲気だな、と、古さを感じた。最近だと地方移住も注目される中、「地元を出る高校生」vs「地元に残る高校生」っていう対立軸が平板だし、この離島は出て行くだけでUターンで地元に戻って起業しようとかいう人が全くでてこないのが、現代の状況を考えると不自然なほど。

多分作り手の中に、「地方や離島=廃れていくだけの場所」「みんな東京に行きたがるもの」という価値観があるんだろうなーと思った。まぁ映画とか演劇でもこういう価値観で今も凝り固まってる人は多い。

島で生きてきた大人の暮らしや考えもほとんど見えてこなくて、役場の業務を私物化してる役人と政治家、高齢者は半ばボケちゃってる、みたいなキャラ設定も浅い。

 

という感想ですが、総合的には結構楽しめたし、主題歌の「頑張れ、友よ!」も大好きで。

理想を言えばきりがないんだし、A.B.C-Zの通っていく道一つ一つを目撃していけるのは、とても楽しい。

 

追記:

ツイッターみたらこの映画にすごく怒ってる人もいて、自分が歳をとったことを実感した。私も若い頃怒ってたなぁ。20年前と比べたら少なくともCMは随分変わった。ルッキズムや貶して弄ってナンボの笑いもあと20年くらいしたら変わっていくね。

 でも、「女の子が笑顔でさりげなくセクハラをいなすシーンが許せない」って言ってる人いるけど、あの拒絶の仕方は全然さりげなくない気がしてて。私なんかは、あんな風にセクハラ親父をジェスチャーで拒絶できたら良かったなぁと思ったので。そもそも人の体に断りなく触るな、という論点なら分かるけど。

「やめてください、嫌いです」ってハッキリ言い放つのみが正解、なら、コミュニケーションとしてあまりに選択肢が少ないと思うし、そういうのは結局自分の首をしめるリスクがあると思う。

「そもそも意思を確認せずに体に触るなよ」なら分かる。先述の太った男子の身体なら勝手に触っていいのか問題と通じる点だよね。私はむしろ、太った男子もお腹を揉んでくる人の手を笑顔で振り払うくらいのジェスチャーが欲しかったな。

 

追記:

さおり先生も応援屋舞台のマドンナも、男が思う、男社会にとって都合のいい「天然」だから白ける、ってのが本質だと思う。マドンナ扱いされてる女で自分がマドンナ扱いされてることに気づいてない人ってほぼいなくて、でも気づいてないふりで接してあげたりそれを逆手に利用したりもしてて、さおり先生も役場の男性の自分への好意を利用して神社?の鍵を開けさせてるわけで、自分の性的魅力を利用して利益を得ようとした結果、その見返りとして肩に触れられて、それをキッチリ拒絶してるんだから、このシーンをもって単純な「セクハラ被害者」扱いはできないって思うのね。

もちろん「女性は性的魅力を利用するしかないんですこの男優位社会では!」って反論もありうるけど、映画をみる限り、高校教員としての日々の目立たない仕事を頑張ってるとかのシーンはなく、性的魅力を武器にしてる所しか描かれない。周囲を手玉にとってマドンナ楽しんでる人のようにしか見えない

で、そういう女性の描き方自体がミソジニック(女性嫌悪的)なんだよね。性的対象としては崇拝し欲情するけど人間性は見下すという、監督はじめ一部の男性にみられる歪んだ女性像。 私は、セクハラへの対処や軽犯罪の扱い以上に、女性キャラクターの位置付けに現れたミソジニーが問題だと思う。

「応援屋」の5人のモチベーションも「か弱い美人が俺たちを頼ってくれている!!」なのも、先述の構図に乗っかった男性像であり、それが何よりも白ける原因なんだよな。ジャニーズやA.B.C-Zは、そういう男性像や男女間の力世界から脱却した「夢」を体現する存在なのに。

ジャニー喜多川演出の場合、女が出てこないか、出てきても自分の仕事や技術や夢を持ってる主体性のある存在として登場してるし(もしくは母)、ジャニーズのタレントが演じる役が女を単なる性的対象物として欲望し、それを動機に行動するなんてことがありえない。別にジャニーさんの舞台作品を絶賛する気はないけど、少なくともミソジニーやそれに基づく男女間関係の構図を舞台作品にして劇場に閉じ込めた客にみせる、ということはしなかった。それは日本における大衆向けのエンターテイメントとしてはかなりすごいことだと思う。

だからまぁ、今回の件で悔しいなぁと思ったのは、監督だか脚本家だか分からないけど、そういうミソジニックな歪んだ価値観のもと構築された世界の中でA.B.C-Zが使われた、ということ。女性だけじゃなく肥満差別もあるから、いわゆる男性強者というか、いじめっ子の思想が根底にあるんだろうけど。