A.B.C-Zとふぉ〜ゆ〜について

舞台ファンで、なんでも節操なく観る。ジャニーズでは、A.B.C-Zとふぉ〜ゆ〜を推している。好きになったここ数年、互いの舞台作品を比較しながら観ることも多いのだけれど、共通点(バックダンサー歴長い実力派、シアターダンスも外部芝居もバラエティもできる芸達者)と同時に、両グループの個性や立ち位置はなかなかに対照的だと思った。ので記録しておく。

 

A.B.C-Zは、ジャニーズ舞台の様式美を守り伝統を引き継ぐ仕事のど真ん中にいるグループで、裏方や自虐もできるけど、圧倒的にキラキラした「究極のファンタジー」として振る舞う最後の一線は譲らない。それは「売れる」ための枷になっている面もあるけども、彼らの唯一無二の価値でもある。

私は個人的にA.B.C-Zのこういう面、つまり、ある世界で長年つくられてきた様式美の正統な継承者としての役回りを全うする生き様、に心惹かれる。 枷でもあり価値でもあるその枠組の中に閉じ込められるのではなく、時に想定された枠を飛び越えるようなパフォーマンスが見られることにも感動する。

で、こういう立ち位置にいるからこそできる舞台というのがあって、それがまさしく「ジャニーズ伝説」だろうし、個人的には「 応援屋」もそうだろうと思う。応援屋は、「アイドルという存在の役割」を熱く主張した作品だから。 綺麗事で何が悪い、理想や夢をみて何が悪い、という強くブレない(ある意味、重たい)主張。

基本的にABC座は、一見きれいごとであろうとも、目の前で繰り広げられるこの夢の世界は間違いなく現実で( 夢なんかじゃない、すべて現実さ)、キラキラした夢をみてもいいんだと力ずくで信じさせてくれる、そういうジャニーズ舞台の王道をやり続けているのだと思う。それを全うしているのがA.B.C-Z


一方、ふぉ〜ゆ〜は、ジャニーズの様式美と振る舞いを踏まえながらも、開拓者、改革者という立ち位置にいると思う。たとえば「SHOWBOY」のスタイリッシュな演出との親和性の高さ、放課後の厨房男子の小劇場らしい器用な間と勢いある演技スタイルには、ジャニーズの様式美を苦手とする層にも訴求する洗練とわかりやすさがある。
多分これは彼らが堂本光一さんの舞台に長年関わってきたことも影響してるのだろうけど、いわゆる一般の客にも「洗練されたエンターテイメント」と理解されやすいような研究と努力の跡がはっきりと見える。必要以上に客と馴れ合わない、演じる側の完成度を求める姿勢は、 アイドルの舞台づくりとしては革新的だ。

そういうバックグラウンドをもつせいか、ふぉ〜ゆ〜には、ジャニーズの様式美が叩き込まれていると同時に、アイドルとしての振る舞いや言動の面では少し斜に構えている。 心中の本当の所は分からないが、自らの置かれた状況を克服する! と力んでいる様子がない。軽やかに笑い飛ばす。重い悲壮感が漂わないのは、ジャニーズの枠やヒエラルキーからある程度自由な立ち位置で、「こうなったらおもしろい事やろ」と突き抜けているからだと思う。ジャニーズらしい努力と下準備は怠らず、毎回新しい挑戦を軽やかに楽しむ。彼らの身体的なスタイルの良さとも相まって、それがとてもお洒落な空気感を生む。


で、私はといえば、芝居が上手でどんなジャンルの舞台でも高い完成度をたたき出し、軽やかで少し斜に構えている所がスタイリッシュで、自虐も時に上品に時にシュールに笑い笑わせながら新境地を切り拓いていこうとするふぉ~ゆ~が好きで、同時に、伝統の継承者としてジャニーズの王道舞台をまっすぐに重厚に作り 続ける、その枷と価値を笑顔で背負って汗も涙も輝きにかえて進んでいこうとするA.B.C-Zが好きなんだ。
 
以上、狭い意味ではジャニオタでないいち舞台ファンが叫ぶ、A. B.C-Zとふぉ~ゆ~への愛でした。基礎を共にする対極って感じで、どっちもほんと推せる。