阿呆浪士(新国立劇場、2020年1月)感想

ネタバレあります。

 

1. 全体について―総合的にGOOD

面白かった。赤穂浪士血判状が阿呆に拾われて、 ドタバタのなりゆきで阿呆も浪士として出陣することに、 ってストーリーがまず興味をひくし、阿呆の周囲の人間模様、 赤穂側の虚実入り混じった人間模様が絡み合い、笑い、人情、義理と正直、 夢と現実の間にたゆたう浮世の無常が感じられる、 ほろ苦くも奥深い脚本。

私は舞台装置好きなんだけど、 この装置のデザインと仕掛けには大満足。 大量の紙吹雪を惜しみなく使うなぁと感心してたら、雪にも桜にも見えるそれがラスト床板がせり上がって雪崩を起こし、切腹した浪士の遺体を覆い隠す(=歴史の底に埋没する)という仕掛けには驚かされた。ビジュアル的にも暗喩的にも圧巻。

愛らしいメインキャストと脇を固めるベテラン陣の安定感。ミュージカルナンバーのような和曲も良曲。ただ歌詞が聞き取りにくいところがあるから、 歌詞の配布があれば、より楽しめそう。

全体的に、グイグイ笑わせる箇所と台詞聴かせる箇所の緩急がもう少しつくと 更にテンポ感が上がる気がするけれど、途中少しだれるのが惜しい。たぶん作風に対して、 箱が少し大きいのかな。台詞聴かせるところ、空間の緊密さが必要なんだけど、やや散漫に抜けていく。

とはいえ、脚本には落語の風情があって、浪曲師もいて( 浪曲師がほんとにいい!)、装置の仕掛けは派手な歌舞伎的要素も感じられて、 ほんと贅沢な観劇だった。

主演の戸塚さんは「阿呆の八」 を可愛らしく演じていて、 江戸っ子らしい口の悪さの中にも粋がっている愛嬌があり、 それがまた可愛らしい。2幕冒頭の歌はちょっと荷が重そう。 心理が作りにくい難しい役だけど健闘していた。 早口は滑舌が気になるところあるけれど本人が楽しんでるのが◎。

浪士役の福田悠太さん、 台詞回しやら武士の立ち居振る舞いやらシリアスとコメディとの緩急やら、とにかく何もかもがうまい。安心してみていられる。 そして大変にかっこよく哀愁ある役どころなのでおいしい。 福田さんファンは必見と思う。最後の台詞が素晴らしい。 脱帽して絶賛するほかない。正直、 阿呆浪士の福田悠太さんみて3倍くらい見直した( 今までも上手いなぁと思ってたけど)。この役は、「大義」と「正直」をテーマとする本作の要でもある。

 

2. ペンライトについて―新たな照明演出の可能性、ただし作品は選ぶ

公演開始前から賛否両論だったペンライトとうちわ持参の件。 行く前は、正直「コンセプトがよくわからんな…?」 という気分だったし、 荷物嵩張るのも嫌だから何も持っていかなかったけど、 実際みたらペンライトの光がとても綺麗で、「 客席ペンライトによる新たな照明演出の可能性」 という風に考えれば納得感あった。

場違いなシーンでペンライト点灯させてる客もいないし、 マナーどうこうの点は意外と全然気にならなかったなぁ。 私が普通の(?ジャニーズのコンサートに行ったことがない) 演劇ファンだったとしても嫌な気持ちにならなかったと思う。

浪曲師がうまく物語世界と客席との繋ぎになっていたり、シリアスな会話でも洒脱にずらしたりと少し抜け感のある作劇なので、そのあたりもちょうどいいのかもな。とにかく、作品を選ぶ試みであることは確か。

うちわ貸し出ししてくれてたので借りたけど、うちわはあってもなくても良かったかな。どっちかというと手拍子とか拍手したい感じ。ペンライトの光は綺麗で新鮮だから、そっちの貸し出しがあったらいいのになぁと思ったけど、単価高いし電池とか色々あるよねぇ…私の家にあるペンライト寄付したい…

 

以下はちょっと辛口です。

 

3. 女性登場人物の扱いについて

というわけで総じて楽しんだのだけれど、個人的にはどうしても脚本にモヤっとするところが。女性登場人物のキャラクターが「かかあ(女房)とババア」と「男の肩書きになびく美人」と「姫」と「遊女」なんだけど、総じて人物造形が平板で時に失礼なところもあって、どうしても100%乗れない…

いやもちろん分かってるんですよ、そもそも江戸時代と現代とでは「男女」や「夫婦」や「性愛」のあり方も全然違うし、落語において「かかあ(女房)」は大抵ひでぇ扱いなのでそれが「お約束」ってとこもある。当時の女性の立場を考えたら、マドンナと遊女で物語作るほかないってことも分かる。

でも、そういうこと頭でわかっていても、いざ演劇としてみせられた時に「あぁなんか、男からみた世界の話だな…」という感想を持ったことは否定できず。終わった後に何となくスッキリしない感覚を残したのは、女性登場人物の描かれ方とか関係性の落としどころが雑だからなのかなぁと。

たとえば物語終盤、八が現世の最後に話すのは妻でなく愛人であり、一応、「先に女房の所へ行ったが昼寝していたので話せなかった」とエクスキューズはあるものの、結局あきらめてマドンナのところに来て「かっこいいよ!」て言われてハッピー、みたいな雰囲気で天に召されていったけど、それでいいんかい?!とずっこけてしまい。

まぁ物語全体の構造をみれば、そういう都合のいい事も無常の浮世であり、どうしようもない人間の業があるからこそ、かわいいし憎めねえ人の世じゃねえか…ってことなんだろうけども…う~ん…どうしても乗れない…

多分、こういうところが気になったのは2幕の展開(苦めの展開に舵が切られていく)の中で、個々のキャラクターの心理変化がうまく表現されてないからもある気がする。特に、八の心理。台詞のうえではそれなりに葛藤や気持ちの変化があった模様。でも1幕とは変わった八だとするならば、死ぬ直前、色恋相手の長屋小町のもとだけではなく、長く所帯を共にしてきた妻の元にも現れた、というシーンを、少なくとも場面として作るべきではなかったか。かかぁ、最後までいじられ要員なのかよ…八もかかぁもそのキャラクターのままで物語終わっていいのかよ…という感じであった。

というのも、「大義」と「正直」どっちで生きるか、の対比で始まるこの物語、後半、その二項対立が実は混じり合っていく、という所こそが「肝」だと思っていて。

「正直」を体現してるのが八で、だからこそすけべ上等、長屋小町に惚れたら嘘でも振り向かせてなんぼ、古女房なんか抱きたくない、が「正直」な本音なわけで、1幕でそれこそ八の妻がひでえ扱いなのはそういう本音の関係性だから。結婚や伴侶=大義だとすると、そんなのしらねぇや、俺は正直に欲と色に生きらぁ、というのが1幕の八。

しかし物語は血判状の入れ替わりによって、大義と正直の位置付けや関係性が揺らいでいき、最後には「生きるってことは大義だけでも正直だけでもない」という展開へ転がっていく。まさにそれこそが、浮世の面白さ・奥深さなわけですよね。それなのに、八と最後の対面するのが長屋小町ひとりってのがよく分からない。いまさら女房にくさい言葉吐くなんて真っ平御免だ、それでもお前にゃ長い間助けられたぜ、くらい言える八になってないと、物語構造との整合がつかない。

逆に、「大義」を生きる代表は福田さん浪士なわけだけど、駆け落ちした遊女は最後ひどい感じで人間的に未熟な女でしかなく、ただひたすらに福田さん浪士が孤独に死んでいくシーンが不憫。まぁ不憫だから役としてはおいしいのだけど、かわいそうな悲劇もまた人生、というのは、ここまで展開してきた物語に対して底が浅すぎる。人間の業や弱さから中途半端に「正直」に走ったことが過ちだったのだとしても、最後なにか救いが欲しいと思ってしまった。

それから、駆け落ちする遊女の「本気で客を好きになることがあるからこそ辛い仕事を耐えられるのさ」的な台詞も、当の遊女本人に言わせてしまうのは、セックスワーカーをめぐる現在までの議論の文脈を考えると、さすがに「男の幻想を聞かされましても」感が否めず。「そういう遊女もいたと思いまーす!」というのは反論にならない。数ある現実の中からどこを切り取って舞台の世界の中に入れるか、逆にどこを切り取らないか、という作業には必ず作り手の恣意と作為が入る。敢えてその部分を切り出すからには、それなりの意図があるはずで。その意図が「男の幻想」以外に何かあるのか、私にはよくわからなかった。

この遊女、正直に本音を言ってそうで(上の台詞も「本音」として扱われてるのだけれど)、最後までみるとそうでもないのでは?って印象があり、キャラクターの位置付けが謎だったなぁ。「正直と嘘の線引き自体無意味」ということなのかもしれないけど、結果、遊女が逃げ出すために福田浪士が利用されたような形になっていて、この遊女像がどうしても魅力的には思えなかった。

あと、姫を幼い頃から世話をしてたというおじさん、美しく成長した姫の姿に恋したまではいいとして、「おしめを替えたあの頃の記憶がよみがえって、えもいわれぬ気持ちに」的な台詞とか、旅の途中で夜に布団に忍び込んだけど匕首で反撃されて、いやぁまいったまいった~、みたいなノリ…今やアウトでは…?私は完全に引いた…

というわけで、女性登場人物の描かれ方・扱い方に尊厳が感じられない所で疑問が残ってしまった。忠臣蔵ってひたすら男の世界の話だから(武士のロマンってそういうもんですし)仕方ないところもあるんだけれども、いま現在の感覚からするとやっぱり女性の描き方というか扱いが若干古いのではないかなと。

 

4. ごくごく個人的な、解釈違いのお話、織り込み済みならすごい

で、上記のような、脚本上の疑問と同時に、戸塚さんという人と今回の役柄とが、私の中で乖離していたのも、やや乗れなかったもう一つの理由。いわゆる「解釈違い」ってやつですね。

私はBACKBEATのスチュアート演じた戸塚さんが本当はまり役だったと思ってるし大好きだったんだけど(BACKBEAT観劇後のブログはこちら)、それは「一途すぎるほど一途な愛に生きる人」だったからなんですよね。戸塚さんにはそういう人であってほしい、っていう、私の幻想。

そういう幻想を抱いてしまってるが故に、今回の八はちょっと、受け入れ難かったのでした。少し前までキャットファイトさせられてた女房と愛人を両腕に抱く姿…無理です、ごめんなさい。もし戸塚さんのことを何も知らず、単なる演劇ファンという立場で観た時、この芝居や役者としての戸塚さんをどう思ったのだろう。正直いって分からない。それを想像するには、私は幻想としての戸塚さんを知りすぎてしまったし、幻想としての戸塚さんを好きになりすぎてしまった。

などと、考えたところで、あぁこれって今作のテーマ、夢と現実、虚構と事実、大義と正直、というテーマにつながっていってしまうんだなぁと気付く。もしもここまで織り込み済みの脚本と配役だったとしたならば、こりゃ一本取られたなぁと思う次第。でも私はやっぱり「大義」の方が好きなんだなぁ、だから福田さん浪士に感情移入したのかも。

 

と、後半は辛口なことも書きましたが、観劇後につらつら考えるのも含めて面白かったです。